読書ログ『私とは何か「個人」から「分人」へ』

私とは何か「個人」から「分人」へを読みました。
人間関係に悩む人や、自己認知を高めたい人にはオススメの本です。

目次

本当の自分はただ一つではない。個人とは分人の集合体だ

誰もが対する相手によってパーソナリティを変えている。
仕事と接する自分、子供と接する自分、恋人と接する自分、顧客と接する自分、学生時代の同級生と接する自分、学生時代でもそれが高校なのか、大学なのかで、それぞれは違う人格を持ち合わせています。

私の場合で言えば、仕事でのみ付き合っている人は合理的で冷淡な印象を抱いていると思うし、一方で学生時代の私を知る人は闊達な印象を持ち、家族は臆病で怠け者だと思っているかもしれない。海外で仕事をする私はチャーミングで人懐っこいと言われます(←お世辞かな?w)。

それを見たある人は、本当の私はどれだと思うかもしれない。
ある人は八方美人だと言うかもしれないし、ある人は軽薄だと評価するかもしれません。
そして何よりも自分自身が、本当の自分とは何なんだ?と思うかもしれません。

しかし、そのどれもが本当の私であり、私という人格はコミュニティの中でどのように振る舞うかによって形成されていく。

要するに個人とは分人の集合体であり、本来の人格と最もかけ離れているのは電車の中など公共の場での自分であろう。
誰とコミュニケーションを取るわけでもないが、そこにいる誰もが空気のような存在としての分人を演じているからです。

分人とは分割可能な存在として対人関係ごとに異なった自分であり、どんな人と関係するかので個人の中での構成比率が変化していく「分人」という単位として認識している。

誰と付き合うかが分人の構成比を決める

分人という単位があり、その複数の分人の構成比が個人としてのパーソナリティを決めるのであれば、誰といるときの自分が好きか。というのは大切な視点だと思います。
それは相手に好意を持つという感情は、同時に自分の分人に好意を持つということだからです。

私自身も何故かある人と一緒の時は他人の悪口が増えネガティブな態度が増える一方で、ある人といる時はポジティブな言葉が増え利他の心が溢れてくる。そのどちえらも本当の自分だが、私は後者の分人としての私が好きであり、その分人の構成比が高まっている時は幸福度が高いと思う。
分人という単位で捉えれば、限られた人生という時間を誰と共に過ごすかというのは自己肯定感を担う重要な要素であり、嫌な分人が出てくるような相手とは距離を置くというのも大切なのだと思えます。

分人とリーダーシップ

またその逆で相手の分人という視点から見ると、どのような分人を相手から引き出せるのか?という視点でみるとコミュニケーションも面白い。
私が相手によって態度が変わるのと同様に、相手も私と他の人の前では態度が違うはずだからです。

例えば同僚や部下であれば、彼らの前向きで優しい分人を引き出せる上司は優秀だと言えるだろうし、素直さや努力する分人を引き出せるコーチは優秀だと思う。
おそらく本質的に優れたコーチやリーダーと呼ばれる人はそういう人だと思う。

裏表がない?分人がない?

一方でよく裏表なくとか、俺は誰の前でも態度を変えないというのが本来の自分と思う人がいるが、そういう人は分人の数が少なく、分人の構成比に偏りがあるため、コミュニケーションが苦手な人が多い。いや、そういう人はコミュニケーションが苦手という自覚もない場合が多い気がします。
そして分人の数が限られているため特定の人としか仲良くできないケースが多い。

嫌われることを恐れるな、個性的になれ、自分の意思を強く持て、というが実際にはそれでは円滑なコミュニケーションが難しく孤独になってしまうケースがあります。
個性的な人は才能に溢れる一方で、孤独な人が多いのはこのためかもしれません。

また分人が少ない人は、分人への理解度が低いために、あの人は裏表があるとか、本当のあの人が分からないと嘆き、傷つくケースも多い。
これはどちらが良いとか悪いという話ではなく、分人というコミュニティに最適化した自分を認められるかどうかという問題だと思います。

パーソナリティを変えるのではなく、分人を加える

よく能力開発などの話になると「自分を変える」という話が出てきます。
しかし分人という単位で考えれば、パーソナリティを変えるのではなく、新たな分人を加え、その構成比を上げるという風に考えられます。

例えばある怠け者Aが、ある学校に通い出したらとたんに勤勉になった。という話があったとする。
Aは学校に、指導者に、同級生に、自分を変えてくれたことを感謝するかもしれない。
しかし、それはAがその環境に相応しい分人A+を作り出し、その学校に関わる時間が増えたことでA+の構成比があがったと考えられます。

ようするに、分人というのは対人関係ごとに異なった自分であるから、関わる人によって変わって当たり前であって、その分人を受け入れただけの話なのかもしれません。
そう考えると、自分を変えるというのは、意思や努力よりも、付き合う人を変えることで得られるものなのかもしれませんね。

生きやすい分人、幸せな分人を生きる

まずは分人を認めること。そしてどの分人が好きか。これは誰といるときの自分が好きか?ということだろう。
それを考え、その分人の構成比を上げられるように付き合い方を変えてみてはどうだろうか?
生きやすい自分を生きるとは、生きやすい分人を見つけ、その幸せな分人の構成比を上げることだろうと思う。
まずは自分から実践してみたいと思いました。

この記事を書いた人

ゴルフ活動家
ゴルフビジネスに特化したコンサルティング、ゴルフ場のオーナー代理人、ゴルフコース改修プロジェクトマネージャー、人材育成のためのコーチング、セミナーや執筆をしてます。詳しくはプロフィールページをご覧ください。

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