「ふつう」という価値

プロダクトデザイナーの深澤直人さんが書いたエッセイをまとめた「ふつう」を読んだ。
深澤さんは私の憧れのプロフェッショナルでもあり、歳の離れた親友でもある、私にとって唯一無二の存在だ。

目次

ふつうの難しさ

普通というのは簡単なようで難しい。
深澤直人さんのデザインを目にしたことがある人なら分かると思うが、シンプルであり、不自然さがなく、機能的なものばかりだ。
例えば「ふつうのゴルフクラブ」とはなんだろうか。
シンプルであり、やりすぎてなく、しかしプロダクトとしての機能は備えている。いつの時代も変わらない、普遍的なロングライフデザイン。
すぐに思い浮かぶのは1975年に誕生したPING社の「ANSER2」だ。

https://ping.com/en-us/

ステンレススチールパターは世界中のプロが愛用していて、タイガー・ウッズはアマチュア時代から使用し、メジャーで最多勝利を上げている彼のエースパターのスコッティキャメロンは長年使ったANSER2と同じデザインで作られ、今なおその手に握られている。まさに王道の形だ。

一方で、例えば現在主流となっている高慣性モーメントでミスに強いと言われるネオマレット型のパターは私たちにとって「ふつう」だろうか?
最近ゴルフを始めた人にとってはそれが「ふつう」かもしれないが、最新素材が使われ、機能は優れていて、コンセプトやデザインが特徴的であり、シンプルではなく、いい意味でやり過ぎている。
そう商品でもサービスでも特徴を出すという「ふつう」ではなくなるということなのだ。

コモディティ化が「ふつうではないもの」を作る

一般的にその物やサービスが希少な段階においては「ふつう」が好まれる。
例えばファッションで言うなら、初めて買うジャケットは多くの人が紺のブレザーを買うし、引っ越して最初に揃えるお皿は白い丸皿だ。
なぜか。「ふつう」だからだ。

カジュアルでもフォーマルでもなく、どんな場所にも合う紺ブレは「ふつうのジャケット」の代名詞だし、白くて丸い皿は誰が見ても「ふつうの皿」だ。シンプルであり、過美ではなく、しかし機能は満たす。どんな場所にも違和感がなく、何を盛り付けてもサマになる。
だから私たちは特徴のない「ふつう」の紺のジャケットや、白い丸い皿を買うのだ。

しかし何着ものジャケットを持って、食器棚が皿でいっぱいになったらどうだろう?
色や素材、デザインにどんどん特殊なものが増えていく。
家電も、車も、サービスも、コモディティ化した時点で「ふつう」では売れなくなる。
だから供給する側は、ユーザーの目を惹く「ふつうではないもの」を作るのだ。

これはゴルフレッスンでも同じだ。
ゴルフに限らず上達には地味で「ふつう」の練習が必要不可欠だが、それを「地道な基礎練習が大切だ」と説くコーチは少ない。
なぜか。情報が過剰に供給される下においてそんな「ふつう」の話は面白味がなく、目立たず、売れないからだ。

ナントカ打法や、ナントカ理論が、毎年生まれては消えていくのは、メディアもユーザーも「ふつうではないもの目立つもの」を求めているからだ。

踊りの上手さが成否を分ける歪な現代

今はSNSやYoutubeを筆頭にソーシャルメディアがビジネスの成功の鍵を担う世の中だ。

あらゆるモノ、サービス、情報、がコモディティ化している現代では、「ふつうではないもの(人)」「目立つもの(人)」に注目が集まり、拡散されていく。普通のことは誰もシェアしないし、ビューも稼げない。
定量化されたインターネットの世界では特に、効率よく数字が稼げる特徴的なものが好まれる。
炎上を狙った投稿や、極論的な論者が注目を集めるのが良い例だ。
要するに、現代は物やサービスの良し悪しではなく、インターネットという舞台の上で目を惹く踊りの上手さを競う時代と言える。

誤解のないように書くが、私はこれを否定しないし、決して自分の人気のなさを僻んでいるわけでもない(笑)
ウェブマーケティングの世界でビジネスをしてきたし、必要な場面では私も踊ってきた。
だから踊る必要性も理解した上で、ただそれはあなたにとって、見る人にとって「ふつう」なのか?という個人としての疑問を述べているのだということを書き加えておきたい。

「ふつう」は変わるが、「ふつう」に戻る

しかし、いつの時代も、年老いてもカッコいい紳士を見ると、紺のブレザーを華麗に着こなすし、一流ホテルの部屋に備え付けられるお皿は丸い白皿であるように、あなたもいずれ「ふつうのゴルフ」の良さが分かるのだ。

私たちの身の周りを見回してみると、そこには「ふつう」の素晴らしいものがあふれている。
ふつうの文具、ふつう家具、ふつうの家電、ふつうの家。
けっきょく私たちが選ぶものは「ふつう」のものだ。

一方で、黒電話ではなくスマホが「ふつう」と感じる人もいれば、ネオマレットが「ふつう」と感じる最近の人がいるのと同じように、「ふつう」の定義は時代によっても変わる。
実は冒頭に紹介したPING社の「ANSER2」もデビュー当時は異色のパターだったのだ。

「定義」という概念の範囲はどんどん広がっていくから、「ふつう」の場所も概念の広がりによって変わっていくことになる。
しかし、いつでもどんな時代でも「ふつう」という概念の真ん中を見つけられる人は、その範囲の両端を知る人だけだ。
人の意識が交わる場所、概念という空間の中心。
そんな線を結ぶ両端を知らなければ「ふつう」は見つけられないし、「ふつう」の価値も分からない。
だからどんなに踊っても、どんなに歪んでも、真ん中が分かっていれば判断のバランスに破綻をきたすこともないから安心だ。

日本中のゴルフ場に行ってみよう、そしたら普段通っているホームコースが「ふつう」じゃないことが分かる。

世界中のゴルフ場に行ってみよう。そしたら日本のゴルフは「ふつう」じゃないことが分かる。

いろんな人に習ってみよう。そしたらナントカ理論が「ふつう」じゃないことが分かる。

私はこの本を読みながら、1人でも多くの人に「ふつう」のゴルフを知って欲しいと思った。

この記事を書いた人

ゴルフ活動家
ゴルフビジネスに特化したコンサルティング、ゴルフ場のオーナー代理人、ゴルフコース改修プロジェクトマネージャー、人材育成のためのコーチング、セミナーや執筆をしてます。詳しくはプロフィールページをご覧ください。

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