主体性とは何か?指導者が知っておくべき主体性の正体

先日iPhoneのメモを整理していたら、過去に読書の感想として書かれたメモが出てきた。
このメモは2017年5月に取られたものなので、その頃の自分が何を考えていたのか覚えていないが、2020年に入ってこのメモが心に引っかかったことに何らかの意味があったのだろうと思ってブログに書くことにした。

その本は社会学者 宮台真司さんの著書で「自発性と内発性の違い」について書かれたもので、私のメモは「内発性と自発性」そして、「内発的動機と主体性」についてのものだった。

メモの内容は
・損得勘定(合理的思考)によって動くことは自発性
・自発性 = 外発的動機付け
・非合理なことにコミットするのが主体性
・主体性 = 内発的動機付け
・モチベーション理論= 内発的動機付け > 外発的動機付け
・非合理を維持できない = 主体性がない
・非合理を人は維持できるか?
・非合理を合理に繋げる力の重要性

ということが書いてあったので少しまとめてみた。

目次

モチベーション理論とは

人が何らかの行動を起こす際にはその誘因となる「意識」が必要です。
意識とは「認識が及ぼす反応」であり、認識は「経験や価値観」によって形成されます。

例えば部屋が汚いから掃除をするという行為は、部屋が汚ないという認識が、掃除をするという行動を誘因しているのであって、部屋が汚いという認識を持たなければ掃除はしないということになります。
しかし”汚い”という定義は、その人の経験や価値観によって決まるので、見る人によって汚いと思うかどうかは違うわけです。

あるいは”汚い”と認識しながらも掃除をしないという場合は、その動機が弱いということになります。
動機の強さは一般的に動機の強さ=①達成動機の強さ×②主観的な成功確率による課題の魅力×③成功報酬(J.W.アトキンソン達成理論)によって決まると言われていて、この汚いのに掃除をしないというのは、①我慢できる程度の汚さである ②掃除が不得意 ③綺麗な部屋で過ごすことで得られるリターンが少ない、という認識が行動誘因を弱めていると言えます。
特に②の得意か不得意かは動機に大きな影響を与えていると思われ、人は得意なこと対しては動きが軽く、苦手なことは避ける傾向があるように思います。

内発的動機付けと外発的動機付け

先ほどは「部屋の掃除」を例にして行動を説明しましたが、例えばゴルフの上達やそれを達成するために練習をするという行動はどのうように認識されているのか?ということについても考えてみたいと思います。

動機付けには「外発的動機付け」「内発的動機付け」の二つがあるとされていて、「外発的動機付け」は行動の要因が評価・賞罰・強制などの外部からの人為的な刺激による反応であるという考え方に対し、「内発的動機付け」は行動要因が内面から湧き起こった興味・関心・正義感や意欲など主体性によるものであるという考え方です。
これについてはアメリカの心理学者マズローが発表した論文「人間の動機づけに関する理論」の中にある欲求5段階説で説明され、心理学研究による見解では内発的動機づけによる活動は、外発的動機付けによる活動よりも、質が高く、持続すると言われています。

人は非合理を受け入れ、維持できるのか?

以前に書いたコーチングとは?ゴルフコーチから学ぶ「コーチング」にも内発的動機付けをする = やる気にさせると書きましたが、やる気にさせるという本当の意味は「評価や賞罰以上の意味を与える」ということになります。

選手を指導する場面では、優勝すれば有名になれる、お金持ちになれる、という外発的(合理的)な動機付けが原動力になっています。
これは会社で部下指導をする場合でもそうで、評価や報酬が伴うことについて人は行動を起こし、それに繋がらないことに関してはやらないという判断をする場合があります。

実際に私も選手を辞めた人、コーチを辞めた人を何人も見送ってきましたが、最初は好きで始めた仕事だったのに、やはり報酬や評価が理由でキャリアの終了の決断します。もちろんこれは否定すべきことではなく、いたって正常な判断であり、合理的に考えた上での決断です。

瞬発的な興味や関心でやりたい!と思ったことをその日にやるのは簡単ですが、長期間に渡って非合理な決断を維持するというのはそれだけ難しいのです。

さらに言うなら、非合理を受け入れるということは、その「非合理の先にある何か」について知っていないと、それを受け入れることができません。

非合理の先にあるもの

その非合理の先にあるものとは「有能感」や「自己決定感」や「自己超越感」であると語られることが多いです。
非合理の先にある成功体験や成長体験を味わったことがある人は、非合理を受入れて持続することができる可能性が高いように思います。

よく指導者は指導のプロなので、競技の実績がなくても良いという人がいます。
私も必ずしも指導者がいいプレイヤーである必要はないと思いますが、少なくとも指導者は非合理の先にある「何か」について知っておく必要があると思います。

その何かが、その人を行動に駆り立てる「評価や賞罰以上の意味を与える」ものだからです。

なので指導者こそ損得を捨て非合理を受けいれることで得られる意味を知る必要があるのだと、こんな損にも特にもならないブログを、私は「非合理を受け入れているのだ」と言い聞かせながら書いています(笑)

この記事を書いた人

ゴルフ活動家
ゴルフビジネスに特化したコンサルティング、ゴルフ場のオーナー代理人、ゴルフコース改修プロジェクトマネージャー、人材育成のためのコーチング、セミナーや執筆をしてます。詳しくはプロフィールページをご覧ください。

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